【巴(ともえ)紋】
巴紋は、鞆を象った紋である。巴は、鞆絵と書くのが正しい。鞆とは大昔、わが国で使われた武具であって、弓を引くとき、これを左手すなわち弓手の手首につけ、弦のさわるのを避けたためだといわれているが、また鞆と弦をふれさせて、音を出させるためだったともいわれている。(中略) 鞆絵をもって水の渦巻いた形と見なし、水の回っている形容詞に巴の字を用いたことは、中国でも日本でも行われた(沼田頼輔著「日本紋章学」)

巴紋には左右の呼称論争がある。

巴の左右の呼称に関しては、泡坂妻夫著「家紋の話--上絵師が語る紋章の美」に興味深い記述がある。
・・・巴の左右は渦の巻き方ではなく、作図上から作られた合理的な名称なのでした。
こうしたことは、上絵師ならばすぐに判ることですが、一度も紋を作図したことのない先生はただ渦の巻く方向にだけ気を取られるのでしょう。
しかし、上絵師でも咄嗟に巴の左右に迷うことがあります。そんなとき、上絵師はうまい口伝を思い出します。
これは実に簡単な方法でいつも感心するのですが、まず左掌を握って手首を見ます。するとその形が左巴の形になっているのです。右掌を握れば、たちどころに右巴が現れるわけです。


家紋をクリックすると図案通りのアイテムページに、
呼称をクリックすると図案とは白黒が反転したアイテムページに移動します。
家紋に諸相がある場合やプリントのサイズや位置が異なる場合は、図案 A,B,C・・・、呼称 a,b,c・・・と表示してあり、A の白黒反転が a です。
つまり、[図案 呼称] [A a] [B b]・・・ がそれぞれ対になっています。

左二つ巴 左三つ巴



水巴 板倉巴 輪違い巴 陰陽勾玉巴


F B

A

B
左三つ巴
f b
右二つ巴
a
右三つ巴
b
蕨巴 左三つ藤巴


『群書類従巻第四百廿四』に見聞諸家紋の図案が載っており、左巴とされている図案がこちら。
沼田頼輔著『日本紋章学』では、これを右巴という自説(三頭で左旋しているときは、三頭左巴(新人物往来社版『日本紋章学』P1097)を展開しているが、これに異を唱えているのが泡坂妻夫著「家紋の話」である。

『日本紋章学』では二、三の文献を拠りどころにして、右巴は右廻りであると、断定してしまいました・・
巴の左右は、その渦の巻き方による名称ではないのです・・・
巴の左右は渦の巻き方ではなく、作図上から作られた合理的な名称なのでした。こうしたことは、上絵師ならばすぐに判ることですが、一度も紋を作図したことのない先生はただ渦の巻く方向にだけ気を取られるのでしょう(同書P60〜61)
現在でも『日本紋章学』を抜きにしては紋章研究が成らないほどです。けれども・・、紋そのものの美には、まあり目が向けられていないようです。先生は当然、紋章上絵師の取材を怠ったとは思えませんが、どうも謹厳実直な先生と、粋な生活を尊ぶ江戸職人と、反りが合わなかったような気がしてなりません(同書P170)

さて、沼田説を支持している一人に丹羽基二氏がいらしゃる。その著書『神紋』(秋田書店 昭和49年)の「あべこべの巴紋」(P54〜55)で「宇都宮系図」や「四天王寺聖霊絵巻」を事例に挙げていますが、これは『日本紋章学』の受け売りであるように思う。

さらにもう一人、「巴紋の左右の呼称の誤りを正す」を『図示 日本の家紋』(別冊歴史読本85 新人物往来社 2004年)に加藤秀幸(紋章学研究者)さんが寄稿(P194〜196)されているが、私にはこれも『日本紋章学』の受け売りにすぎないように思う。

ちなみに、私は泡坂妻夫氏を支持する一人である。

参考図書:「家紋の話―上絵師が語る紋章の美 (新潮選書)」

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